Onsen Queen

Spa Lady Windy

My Champagne Journey in Europe

《懐かしの旅シリーズ》その1

ヨーロッパ列車シャンパンの饗宴

 
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(Spa Lady 1988の記事 発表:聯合報 翻訳・田中 あき)
海外旅行といえば、避けて通れないのが「両替」ですね。1988年にハンガリ

ーを旅したとき、私はまだ若く独身で、「すっからかん」を覚悟で、長年真面目に働いてきた自分のためにバカンスを奮発しました。そして、ドナウ湖畔の五つ星ホテルとオペラの優雅な音楽を毎日のように楽しみました。

 

楽しかった三週間の旅も終わり、ハンガリーから音楽の都オーストリアはウィーンへと向かう長距離列車の一等席の個室で、途中、ハンガリー警察によるパスポート検査を受けました。「いま、現金で何フォリント(ハンガリー通貨)所持していますか?」という質問に、私はその場で財布を取り出し、正直に数えてこう答えました。「2,500フォリントです」すると、彼は非常に聞き取りにくい英語でこう告げました。「100フォリント以上を持ったまま国境を越えることはできませんよ


「なんですって?100フォリント!では、差額はどうしたらいいんですか?
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警察はちょっと肩をそびえてこう言いました。「それまでに使い切ってください。でなければ没収せざるを得ません」「どうやって?列車の上で何が買えますか?」「食堂車へ行ってみてはいかがですか」。

 

とは言うものの、その当時で5千元もの「大金」を1人で食べきれるわけもありません。シャンパンをこよなく愛する私は、食堂車にロシアの「10月シャンパン」があることをめざとく発見。テーブルには世界各国からの旅行者いっぱいです。次の瞬間ハッと閃き、再び「すっからかん」の覚悟を決めると、強壮なハンガリー人マスターに向かってこう注文しました


「現金がありすぎて困ってるの。だから、食堂車の全員にシャンパンとキャビアをご馳走するわ!」
 

つかの間の後、食堂車にはシャンパンを開ける音と歓声と拍手が鳴り響きました。全てのテーブルの旅行者が身を起こしてミス台湾に敬礼と乾杯をしてくれました。それから私は、南アフリカから来た大学生とケープタウンの素晴らしさが私を旅のとりこにしたと語り、アメリカ人夫婦とはニューオーリンズのジャズとアラスカの極地生活について語り、日本人エンジニアとは私の愛する温泉について語り合いました。

 

そうこうするうちにハンガリーとオーストリアの国境を過ぎ、南アフリカ大学生とスイスの大学生が、私を一等席の個室から二等席へと強制「降格」させ、終わりなきおしゃべりが咲くこととなりました。そろそろウィーンに着こうかという頃、先ほどのハンガリー人マスターが、やっと見つけたとばかりに「Come,come!」と私を手招きします。私はすっからかんの財布を振って見せ、笑いながら「No money.」と言うと、彼は一言「My treat.」。


なんと私にご馳走したくてあちこち探しまわっていたというのです。そうして意気揚々と食堂車へ戻った私たちは、ハンガリーサラミを肴に、ハンガリー名産トカイワインをたらふくご馳走になりました。台湾小姐のシャンパン饗宴に感動したハンガリー人の粋な計らいだったのでしょう。

 

ヨーロッパ列車での「フォリント事件」を思い出すたび、懐かしい思いがこみ上げてきます。5千元で生涯忘れられない経験を買い、国に代わって見事な「シャンパン外交」を果たした私。もしあなただったらどうしますか?

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