川下りイン水郷柳川
藩政時代の遺産が息づく水の構図探勝
福岡から南に60分の所に位置する城下町柳川は、中心市街地2km四方に延長60kmにわたって堀割が縦横に張り巡らされた水と共生する世界有数の水路のまちです。
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このお堀は、今から約400年前の藩政時代に筑後地方を治めるための柳川城築城のおりに、城下町を形成するために人工的に堀を掘って整備されました。そこには、治水・利水のための水利体系が整備され、先人の知恵による様々な仕組みが今なお息づいています。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/O/Onsenqueen/20010101/20010101002140.jpg)
お堀に架かる橋を注意して見ると、橋は川幅よりかなり狭く造られV字型に成っています。これは、水の流れを狭い入り口で留め、橋の下では流速を増して酸素を取り入れ、水を浄化する機能があります。また、上部が広く成っているのは、水嵩が増した時に流れやすくするためです。
干満の差が6mにも及ぶ有明海の満潮時は、陸地より海水面が高く、干潮時に排水し満潮時には、海水の流入を防ぐ堰が設置されています。これらの堰は、およそ100基にもおよび、堀の水利システムを維持する精密機械の様に働きます。
柳川の川下りは、お堀巡りです。七曲り、七巡りして下って行きます。
それでは、柳川旅情と共に、先人達の素晴らしい知恵に思いを巡らし、船頭が案内する心に残る「水の構図探勝」をお楽しみ下さい。
![イメージ 3](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/O/Onsenqueen/20010101/20010101002150.jpg)